幸せって?

さて、このところなんとなくいろいろなことに気づいている、引き寄せている気がします。

例えば最近、肩こりが酷かったのですが肩こりローラーをいただいたり。

物を減らしたい、と思っていたらひょんなことから「お片づけノート」という方法に辿り着いたり。

そうそう、おもしろい引き寄せといえば、ここ数年ほこりアレルギーのようなものに悩まされていて、特に春先の黄砂とかでくしゃみが出始めると鼻水が止まらなくなっていたんです。

そのため、枕元にティッシュとリビングにティッシュは欠かせませんでした。

寝ている間にくしゃみ連発→鼻水→鼻にティッシュを詰めて寝る、とかも日常だったのですが・・・。(女としてどうかというところはありますが、それくらいひどかったんです)

枕元のティッシュがなくなり、新しいティッシュを出さずにいたら起き抜けにくしゃみをして鼻水が出る以外はティッシュを使わなくなりました。

しかもくしゃみもあまり出ないし、鼻も通っているという・・・

一体、今まではなんだったのかというくらい。

ティッシュを置かなくなったことで、ほこりが少なくなったのかもしれないという説もありますが、ティッシュがあるから鼻水が出てたのかもしれません。

引き寄せノートにだいぶ昔に書いたことが叶いました。(アレルギーが治る)

 

 

さて、私が最近知った「みつろうさん」のブログやツイッターを見ていたら「自分にとっての幸せ」というのを考えさせられています。(これについては全く答えが出ませんが・・・)

きっと前もいろいろと引き寄せていたのでしょうが、それに気づくことが多くなってきました。ただ、意図的に引き寄せているというよりかは、思って→忘れていたっていうことの方が叶っているのかもしれませんが。

みつろうさんの言葉をお借りすると「幸せになりたい」と思っているうちは幸せになれない、ということですが、確かに頭ではわかるんですよね。

他にも引き寄せの達人のまとめを読んだりしていると同じようなことが何度も言われていますし。

幸せになりたい=今は幸せじゃない=幸せじゃない現状を創っている。

じゃあ本当に今幸せじゃないのか、と言われれば仕事も住む家もある、周りは素敵な人ばかりに囲まれている、それはそれで幸せなんですよね。

もっと幸せになりたい、って思っているのかと言われると、今の現状を見てみると今でも充足してしまっている自分がいたりしますし。

そしたら引き寄せるものはないのか、と言われたら例えば「持ち家(マンション)がほしい」とか、「旦那がこっちに職を見つけて戻ってきてほしい」とかそういうことはあるんですけど。

幸せではあるけど、引き寄せたい現実はあるというか。

ここをどうやって解消するかなのだろうなぁと思っています。

一度、頭の中を整理する必要があるのでしょうね。

急な不安と感情を手放すこと。

昨日、今日と急に不安に襲われています。

おそらく原因は、もうすぐ産休に入るので収入が減る不安や生活が大きく変わってしまうこと、また、社会から切り離されてしまうような感覚になっていることだとおもうのですが。

セドナメソッドで不安な感情を手放そうとするのですが、次々に不安が湧いてきます。

セドナメソッドをしている中で、お金で嫌な思いというのを学生時代にしていたことを思い出したので、それをうまく手放すことができればお金に対するブロックも取れそうな気がします。

それと似た様なことが今、起こっているのでそれも不安の一要素になっているのだと思いますが。

でも、忘れていたこと・・・嫌だと思った気持ちが、今になってネックになっていたことがわかるとは。

気持ちを押し込めていただけなんだなぁ、と思います。

今更ながら、そうやって感情を押し込めるっていうのは自分を大切にしていなかったのだな、と。

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セドナメソッドの本を読んで、解放したい感情は何かと自分の過去を振り返っていた時に一番に思い浮かんだのは父との関係に関する感情でした。

父親とはあまり思い出がありません。いや、あるのかもしれませんが、あまり思い出せません。

私が中学生くらいの時から別居していたのですが、月に1回ないし何ヶ月かに1回は家族で会っていましたし(会っているときは普通の家族だったように思います。)例えば成績のことを怒られたりしたこともありました。

別居をしていたからなのか、それとも母曰く「子どもとの付き合い方がわかっていなかった。子どもと遊ばせようと何度か試みたが、自分から歩み寄ることがなかった」とのことだったので、思い出せないのかもしれませんが・・・。

一番に思い浮かんだのは怒り。

どんどん手放したつもりでしたが、今回のことでまだまだ手放せていないことがあると実感しました。

心のブロックは、すぐに思い当たる感情ではなく押し込めてきた感情がネックになっている気がします。

もう顕在意識下では無になっているんでしょうね。無かったことに。

でも本当は感情を持っている。忘れたふりをしているだけ。

今回感じた、「不安」を通して心のブロックについて少し気がつけたような気がします。

いい感情も、嫌な感情も、どんどん手放して心を身軽にしていきたいと思います。

引き寄せと意識のブロック

よくできる引き寄せと、うまくいかない引き寄せがあります。

例えば、電車の席はちゃんと座れるけど、お金の引き寄せとか生活の引き寄せがうまくいかなかったり。

思っている引き寄せと違う形できたり。(これはある意味引き寄せているのですが)

引き寄せがうまくいかない→どこかにブロックがあるはず→でも何がブロックに??

というところで止まってしまいます。

ブロックしているものがわかれば手放したり、対処のしようがあるのですが・・・。

だから、お金持ちになりたい、お金の心配をしなくてもいいようになりたい、とは思っているものの、お金を直接引き寄せるわけではなく例えばいろんな人から食べ物をもらったり。

微妙にうまくいかないことが多いです。

だから潜在意識に届ける自分の望みの表現を間違っているのかもしれません。

確かにある本には潜在意識に届けられるのは、自分の想像の範囲だけだ、ということも書いてありました。

自分の意識が投影されているのがこの世(つまり自分の人生)であるのであれば、自分の想像の範囲を超えるものは出現しようがないですからね。

想像力を鍛えるべきか、自分の表現力を鍛えるべきか、分析力を鍛えるべきかどれが一番早いのかわかりませんが。

でも悩み続けると、内省し続けるとぽろっと「自分の想像できる未来」で「しかもそれが自分の望んでいる未来」のビジョンが見えることがあります。

一度、悩みに悩んでいた時、ぱっと頭の中にビジョンが浮かんだことがありました。

これは潜在意識が助けを出してくれたのか、もしくは脳が絞りに絞られて出した答えだったのか・・・。

今はまだ、その未来が現実になっていないのでわかりませんが、一度見た鮮明なビジョンは自分であーだこーだ悩んで出したビジョンより頭の中に記憶として残っています。

あとはこれを潜在意識に焼き付けて手放すだけです。

自愛?セドナ?感情を放り投げる。

ちょっと前に自分ではどうにもならないこと、誰にもどうにもできないこと、と頭ではわかっていたものの、心がついていかないということがありました。

頭では理解しているけど、感情がどうしても残ってしまうという現象で。

そこで違うことを引き寄せようと想像してもうまくいかないと思ったため、感情をまずは手放すことにしました。

「人生を変える一番シンプルな方法」というセドナメソッドの本は一読しましたが、感情の分類まで上手くまだできていないので、一番シンプルな「感情を手放す」というメソッドをやることに。

よくいろいろなところで書いてありますが、「この感情を手放したい?」「いつ?」「じゃあ手放しましょう」とシンプルに自分に聞くというだけです。

例えば仕事中とかにもこのメソッドで感情を手放せたらもっと楽に仕事ができるのかもしれませんが、なかなかその域に達さないので(感情が先に立ってしまい、メソッドのことすら忘れる)布団に潜り込んだ時とかにしています。

最後の「手放す」というところが一番肝心だと思うのですが、私は「感情を麻袋に入れて放り投げる」というイメージでしています。

なぜこんなイメージになったかわかりませんが、よくドラクエとかに出てくる薬草の入った袋みたいなのを想像してそこに感情を入れて口を縛り、ぶーーーんと遠くに投げるイメージです。

一回でうまく行かないときは、何度も同じ質問を自分にします。「この感情」という感情がなくなるまでしてあげます。寝落ちすることもありますが。

この時は、感情に名前がつかなかったのですが(悲しい、とか怒っているとか)それでもその感情自体は手放せました。

感情が手放せたら、次のイメージングがうまくいきはじめた、というか、勝手にイメージがどんどん湧いてきました。しかもいつもより具体的に!

感情を手放す、ということとイメージングが結びついたような気がするのは今回が初めてですが、すっきり感情を手放せるということは必要なことなのだなぁ、と思っています。

部屋の整理と同じように、感情もうまく整理してあげるのか必要ですね。

なる、ある、ということ。

引き寄せの法則では「なる」ということを言われたりしますが。

今回、意図的に引き寄せられたと感じたことを書き留めたいと思います。

引き寄せの法則を知ってから、例えば「この電車で座れる」と意図してみたり、「緑の車をみる」とか、いろいろとやっていました。

お金系は自分で引き寄せた実感はないのですが(直接お金がくるわけではないので)他のところではいろいろとあります。

最近も、オークションで落としたかった物があったのですが、「それを使っている自分」「手に入れている自分」を想像し、自分の納得出来る範囲の入札をしてあとは放っておきました。(何度か気になってギリギリで入札しましたが、納得いく値段まで入札しただけで、それ以上の額を入れたわけではありません)

結局、落札者は他の人に決まったので、同じ商品をどうやって安く手に入れるかをいろいろ探していましたが、いい情報と思える情報が特になかったため、ゆっくり探すかーと思っていました。

他にも入札していたものがあったため、オークションページは何度か見てたのですが、ある時、「高値更新」以外のメッセージが。

落札者と連絡が取れないから、二番目に入札していた私に連絡が来たのです。

これには驚いたと同時に少し笑えました。

だって、「絶対手に入る」と思っていたものがやっぱり自分の手に入ったので。

自分の想像していた手に入れ方にはなかったのでとてもユニークだと思いました。

ちょっとずつ、「なる」「ある」のコツを掴みつつあるようです。

生きている時が変わった?

パラレルワールドのお話。

 

といっても難しい話ではなく、この前した不思議な話のこと。

お金を磨いて自分の中のブロックに気づき、寝た次の日のこと。

朝、化粧をしようと机の上を片付けていたら出した覚えのない爪切りが、コントローラーの陰に隠れていました。

コントローラーは確かに昨日使った。

でも爪切りは使っていない。

しかも何より不思議なのは、(1)爪切りを使った覚えがないこと (2)爪切りが開いた状態で置いてあったこと (3)コントローラーの陰に隠れていたこと です。

足の爪も手の爪も伸びてないし、逆剥けを切った覚えもない。

仮に切ったとして、爪切りを仕舞うところは机から近いところだし仕舞い忘れたとしても開けたまま置いておくとはこれいかに?

コントローラーの陰に隠れていたということは、爪を切って出しっぱなしのところにコントローラーを置いた?

とにかく朝からハテナがいっぱいでした。

ちなみに一人暮らしなので他の人の置き忘れという線は皆無です。

お金に対する観念に気づいた後だったので、時間軸がずれたのかなぁと思ってしまいました。

本当のところはどうかわからないけど。夢遊病の可能性も、確認もできなければ否定できないしね。

あからさまにこんな不思議なことは今までなかったので、印象が強すぎましたが、これが何を意味しているかはわかりません。

現実で他に変わったところは特になさそうですし・・・・

いやー、不思議。 

お金に対する観念

お金には困っているほどではありませんが(つまり生活困窮しているわけではありません)貯金がきっと同世代よりかは少なく、また将来に不安要素がないわけではなかったり親戚が少なかったりするので、お金に対する心配みたいなものは常にあるような気がします。

そこで、いろいろな知識をかじって実践してみました。

 

・財布を空にして満月の夜にかざす

トイレ掃除をマメにする

・小銭貯金をしてみる(気が向いたときだけ小銭を箱に入れる)

・引き寄せノートにいろいろと書いてみる

 

などなど。

特に「これ」ということはなかったのですが、

・財布を空にして満月の夜にかざす→なんとなく気持ちがよいし、財布の中身点検も兼ねるのでスッキリする。ただし、もう何年も前からカードは別に入れているので、ほとんど出すものはない。

 

トイレ掃除をマメにする→夫が単身赴任する前は、匂いが気になるのもあったのでとてもこまめにやっていましたが、一人で住むようになってからはさぼりがち。最近は本を置いているので、それを処分したい衝動に駆られています。それでも一週間に一回は最低しています。

 

・小銭貯金をしてみる→箱が深いのか?なかなか貯まりません。あと、財布を空にするときに入れるなど、ルール決めが必要かな。重くなったら入れる、くらいではなかなか貯まりません。

 

・引き寄せノートにいろいろ書いてみる→特に叶ったという実感はなかったが、ある時期やたらと野菜や食べ物を続けてもらった時期があった。この期間はある意味お金を使う必要がなかったので、成功といえば成功??

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そんな中、昨日新たにやったのが「硬貨を磨く」

硬貨をピカピカにしてあげて、感謝の気持ちを〜というような記述が目に留まり、普段ならやらないようなことなのに思い立ってやってみました。

なんか引っかかって気になってしまって。こういう直感も大事かなと思ってね。

とりあえず10円玉と5円玉をクエン酸に浸けて綺麗にしてみました。みがき布がなかったので他の硬貨は今回はパスで。

その作業を行っている間、一つのブロックに気がつきました。

「お金は汚い」というブロックです。

これには心当たりがあります。小さいとき、祖父母が一年間貯金箱に小銭を貯めていたのを、毎年もらっていました。

もらった後の恒例行事は枚数を数える、ということです。新聞紙などの上に硬貨ごとに並べて金額を数えました。

そのあと必ず言われたのが「汚いから手を洗っておいで」ということです。

意味としてはきっと「誰が触ったかわからないお金だし、金属の匂いがつくから洗ってきなさい」ということだったのでしょうが、これを毎年(まぁお金を触ったら毎回)言われていたのでいつの間にか「お金=汚い」という観念になっていたのでしょうね。

これには目からウロコでした。

このブロックを外すべく、今日から解放していきたいと思います。

お金のブロックがありそうな方、こんなこと言われていませんでしたか?

money=dirtyではないのです。