シンプルライフと引き寄せの関係
シンプルライフを目指して捨てること、整理することを意識して日々過ごしていますが、最近は重い腰が上がらないことが多いです。
たぶん、時間がたっぷりある(と思っている)のでついつい後回しにしてしまうのだろうと思いますが・・・動き始めたら意外とすんなりいくものなのですが。
しかし、すでに今日のゴミ出しに出し忘れたものを机の上に発見しました・・・萎える。
他の方のブログをみながらモチベーションを上げたりしているので、いいブログを見つけたら結構遡って読ませて頂いたりしています。
すると、シンプルライフをしている人で引き寄せの法則のことを書いている方が、ままいるという発見!
相関性があるのか?たまたまなのか?その辺りはよくわかりませんが、それなりの数おられる気がします。
不思議〜
まぁ引き寄せの法則自体が「自分が快でいること」を重要としていたりするので、シンプルライフ・ミニマルライフを目指して快適空間にしよう!というあたりとかぶってくるのかもしれないなぁと思うのですが。
でも引き寄せの法則を知ることと、ミニマルライフ・シンプルライフを目指すこととどちらが先とかあるんですかね。
私の場合は、先にミニマルライフだったかな。
もっと物を減らして快適空間にしたい。そして引き寄せの法則と自分にじっくり向き合いたい・・・。
<捨てようか迷うもの>
・レシート類(クレジットカード引き落とし明細等含む)
・会社の研究会で使用した資料(もう終わっているけど、結構な量があるしどうしよう・・・)
捨てるタイミングがわからん。振り返って見ないからきっといつ捨ててもいいんだろうけど。
あとはミニマリストの皆さんが実践してる、服の制服化に取り組めたらいいな〜。
今はまだできないけど、出産して痩せて職場復帰の頃には制服化が終わってれば楽なのではないかと目論み中。
説明書を捨てる話
昨日の夜中にも捨て神様が降臨されたので、せっせとゴミをまとめていました。
その前に洗濯をしていたのですが、つけ置きというのを買ってこの方やり方がわからずやったことがなかったので、ネットで説明書をダウンロードして洗濯したんです。
それと、最近使い始めたクラウドが私の中で一つに繋がり、説明書をダウンロード→クラウドにアップ→PCでもスマホでも見れるじゃん!ということで、朝からせっせとアップしていたのです。
今までは説明書を入れるためのファリングケースにそれぞれ綴じていたのですが、それを見ながら行っていたら捨てれる説明書と捨てれない説明書が出てきてしまいました・・・。
《捨てれる説明書》
・説明書がネットからダウンロードできる
・保証書が別、もしくは期限が過ぎている
・保証書がない(!)
《捨てれない説明書》
・説明書がダウンロードできない
→旦那が持って行っているナショナル電子レンジはダウンロードできませんでした・・・。ま、そりゃそうか。
→まさかのルンバが説明書はダウンロードできませんでした。公式HPを見ると、ルンバの会社に請求するみたいです。これは製品番号のシールを説明書に貼っているので、それでいいのですが。
・説明書に保証用シールを貼付してしまっている
→保証期間が切れていないものは一応捨てることができないと思うので、置いている。
→保証期間が切れているものは捨てていいような気がするが、とりあえず一旦見送り。
・旦那の持って来た説明書
→一応、私の持ち物ではないので置いておく
というわけで、私の予定では説明書のファイルも捨てる予定だったのですが、意外に捨てられない説明書。
旦那が持って行っている、古い電子レンジ(ナショナル分)と掃除機のやつは向こうに送ってもいい気がするなぁ。
私が使っている方が新しいやつなので。(あくまで生活の拠点は私がいる家です。)
結構、断捨離のブログとか見ているとみなさん説明書とか捨てておられたので私もすっきり捨てられるかと思いきや、意外と残ってしまったのが驚きでした。
何事も一回やってみないといけないですね。
昨日の夜から肉が食べたかったので、整理と捨てを頑張ったご褒美にサイコロステーキランチを食べに行ってきました。美味しくて満足。
生理痛について
生理痛、昔はあったんですが今はほとんどといっていいほどありません。
ここ2年くらいの話でしかありませんが。(しかも今妊娠してるので生理がありませんし)
引き寄せの法則を知ってから、いろんなひとの体験談とか読んでるときに「視力があがった」とか「虫歯が治った」とかそういう話を見たので「もしかして生理痛もましになるかな?」と思って検索してみたらヒットしたんですよね。
引き寄せと少し違うんですが、「生理のある自分を認めてあげる」っていう話だったと思います。どちらかというとセドナに近いのかな。
要は生理=嫌なもの、面倒なもの、という意識ではなく生理があるから妊娠もできるんだろうし、女の人の特権である、と。
その大事な生理が1ヶ月に1回、きちんときているということはありがたいことではないか、と。
子宮にありがとう、と感謝するというのがその内容でした。
さっそくその月からやってみると、プラシーボなのか?w お腹の痛みがましになりました。
ただ、私の生理痛がほとんどなくなったのは「子宮にありがとう」の部分ではなく、「生理=嫌なもの」であった概念が「ありがたいもの」という認識に変わったからだと思います。
確かに人生のうちで生理と付き合う期間はそれなりにあるかもしれませんが、いつまでもあるわけじゃない。それなら今、あることに感謝しようと。
女性、という性をありのまま受け入れよう、という認識に変わったところだと思います。(それまで特に女性であることを否定して生きていたわけではありません。)
これは私の感じ方ですが、男女平等っていうのが当たり前だと教育されてきた世代にとって、男女平等=男性並みに頑張らなければならない、なんならそれ以上に、という認識がなんとなくあるような気がするんですよね、女性側に。
あくまで私の感じているところだけなのですが。
なんていうのかな、うまく女性性であることを利用できていないというか。本人が認めていないというか。
私自身も、職場で男性に頼るのが下手だったりしますしね。重いものとか声かけて持ってもらえばいいのにね。可愛げがないともいうw
なんとなーく積み重なってきたそういう意識が生理痛として現れていたというと言い過ぎかもしれませんが、うまく自分が女性であることを認められず、男性と同じようにできないといけない、それ以上に頑張らないと、というような意識がどこかにあったように思います。
この経験があったからかどうなのか、妊娠した時もつわりは全くありませんでした。
何食べても匂っても大丈夫、みたいな。眠気くらいかな。世の中の「ザ・つわり」みたいなのはありませんでした。
うまく自分の中で妊娠したことを認めてあげれたというか、そんな感じです。
生理痛については、周りで結構大変な人もいるのですが、こんな話をしても信じてもらえない気がするので(w)このブログに書くことでなんとなく広がってくれればいいなーと思っています。
テレビをつけない選択肢
元々、あまりテレビを見る方ではなかったのですが、家にずっといる生活になってからなんとなくテレビをつけてしまうことが多くなってきました。特にご飯を食べる時とかね・・・。
見ながら食べているというより、音のない空間で「ご飯を食べる」という行為に向き合うのが嫌なようです。
理由はつかめませんが。
それ以外はあまりテレビをつけないようにしています。意識してそうしているというよりかは、一方的に情報を流されている感じが苦手というか。
本当にテレビから欲しい情報ってなんだろう?って思ったり。
引き寄せ関係の本で「ニュースをみない」という項目を読んだときに、今までテレビに抱いていた嫌悪感とか、倦怠感の正体を知ったと同時に「見なくてもいいんだ」と当たり前の話なのですが目から鱗が落ちた感じがしました。
本当に知りたい情報って私の場合は日々の世の中のニュースではなく、時短で簡単に作れておいしい料理のレシピであったり、おいしいものがどこで手に入るかとかそういう話であったりするわけです。
食べ物ばっかりという話は置いておいてw
その引き寄せ関係の本によると、余分な情報をいれないことは本当に知りたい情報をうまく手に入れるための方法である、と。(たぶんこんな感じのことだったと思う・・・ちゃんと読み返していないのでうろ覚えです)
これって断捨離とかにも通じることだなぁと。
例えばキャパいっぱいの押入れに新しいものって招き入れることができないし、自分の近くにあっても気づかないのではないだろうか、と。
きっと常に容量いっぱいまで持たない、ということが必要なのではないかと感じました。
静かな家はなかなかにいいものです。いろんな外の音も聞こえるし、ちょっとばかり頭もすっきりする気がしますw
あとはご飯時にちゃんとご飯に向き合って食べるようにしないと・・・というところは、きっと自分の中に何かブロックがあるのだろうと思うので少し掘り下げたいと思います。
お片づけノートをしながら気付いたこと
だんだん断捨離のブログみたいになってきた・・・w
お片づけノートをしつつ、出産準備をしつつ気付いたことがあります。
それは、初めてのことに対してどうしても出費が多くなってしまうということ。(数が格段に増える)
もちろんいろんな情報を得ながら準備をしているのですが、わからないことに対しては吟味ができずにものを増やしてしまう傾向にあるということです。
それに今まで買っていなかったという理由で夏服を増やしてしまったし・・・(これは私が悪いですが)
特に今回の出産に関しては初めての経験&下手すると1人で入院、退院までになってしまうので、特に準備物が多くなってしまいます。
退院までには夫も来るでしょうし、家族もくるとは思うのですが例えば洗濯物は帰ってから自分でやりたい・・・。とか思っていると持って行く入院準備物の個数が増えてしまうわけです。
本当は洗い替えを持ってきてもらってしてもらうのが一番いいんでしょうけども。
なんとなく夫・家族に洗濯してもらうのに抵抗があるのです。。。
それでもお片づけノートをしながら家のものは減っているので、普通に準備していたよりもまだ家の中の荷物は減っている気がします。
もっともっと荷物を減らしたい。
それに反して買ってしまう服(元々、着道楽みたいな感じでした。だいぶマシになりましたが)についても吟味したい!
お片づけノート
意外と苦戦していますw
続けてはいますが、大きなものを捨てたりということはなかなかなく。
3個捨てるのを考えるのも少し大変だったりします。
「捨てたー」と言えるものと「ええい、数を稼ぐためとなってしまってもいいやい」となってしまうものと。
例えば「捨てたー」となるものは、服・本などいわゆる大物(勝手に分類してますが)
「数を稼ぐため」のものは、服のタグや包装紙など。
ここ2日は数を稼ぐためのものも含めて捨てているのですが、もしかして・・・と気付いたことがあります。
それは
・包装紙などをすぐに捨てるようになったことで、すぐ使えるようにする。すると、使わないで捨てるとか、そういうことが防げる?
・ゴミが部屋の中に占領する面積が減る
・小さいことでもコツコツ続いているということが自分の身につく。(自信につながる)
・お片づけノートに書くために使いかけのものを早く使い終わろうとする
こういうことなのかなー?と思います。
それでも毎日続けているので、きっといつかはミニマルライフになるはず!
溜まっているルームフレグランスもこの調子で使い切ってしまいたいですね。
匂い関係、いろいろと好きなものはあるのですが、その日の気分によって使いたい!と思っていたため、使いかけのものがいろいろとあるんですよね・・・。
お片づけノート、使い切りもさせようとしてくるとはなかなかです。
いるもの〜いらないもの〜
昔、笑う犬の冒険というコント番組がありました。
それにいつも移動させられる係長だっけな?「いるもの〜いらないもの〜」って物をダンボールに分けているコントがありました。
何を分けていたかなんて覚えてないけど・・・
ここ2年くらい、物を減らすということ・掃除をしやすくすることを考えて生活をしてきたつもりだった、のですが。
やっぱり物が多い!
前は某掲示板の掃除板まとめとかを見てモチベーションを上げていたのですが、最近それでは重い腰があがらなくなってきたので、ちょっと困っていたところでした。
冬は寒いから動きづらかった(気分がのらなかった)というのもあったと思うのですが。
さて全然別のことを調べている時に「お片づけノート」という方法を見つけました。
1日3〜5個の物を捨て、捨てようと思った理由を書いていくというものです。
いやー、書くためにいらないものを探すのか、次々捨てたいものが出てきます。
3週間で習慣が変わるみたいですが、ミニマルな暮らしを目指すためには「なぜいらないと思ったのか」を考えることで今度は「いらないものを買わない」に変わるのかなーと思います。
ミニマルライフを目指すぞー!